聖徳太子について
聖徳太子とは
聖徳太子は547年~622年の間に生きた人物で本名は厩戸皇子(うまやどのみこ)。
聖徳太子は奈良県 明日香村で生まれました。父は用明天皇、母は穴穂部間人大后(あなほべのはしひとおおきさき)です。
「冠位十二階」や「十七条憲法」を制定するなどして活躍しました。
聖徳太子が行ったこと
1. いくつかの制度をつくった
聖徳太子は今までの身分制度や政治のしくみを改めるためにいくつかの制度をつくりました。
まず、身分制度を改めるために「冠位十二階」を制定しました。これは、家柄によって身分を決めるのではなく、個人の能力によって身分を決めるというものです。
次に、政治を改めるために、政治の基本をまとめた「十七条憲法」を制定しました。これは、国家の役人の心構えを述べたものです。
2.多くの寺院を建てた
制度以外にも聖徳太子は、法隆寺や四天王寺などといった寺院も建てました。
その中でも法隆寺は現存する世界最古の木造建築として世界遺産に登録されています。
聖徳太子の名前
聖徳太子の本名は厩戸皇子(うまやどのみこ)ですが、実は多くの名前で呼ばれていたのです。
皆さんがよく知っている聖徳太子という呼ばれ方のほかに、豊聡耳皇子(とよとみみのみこ、または、とよさとみみのみこ)や、
上宮太子(うえのみやのみこ、または、じょうぐうたいし)などと呼ばれていました。
厩戸皇子と呼ばれた理由は馬戸で生まれたからと言われています。
※イエス・キリストも馬戸で生まれたことは似ているネ!
聖徳太子の家族
聖徳太子の兄弟
聖徳太子には多くの兄弟がいました。
用明天皇と穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのおうじょ)との間に生まれた子(4人)、おなじく伊志支那郎女(いしきなのいらつめ)との間に生まれた子(1人)
伊比古郎女(いひこのいらつめ)との間に生まれた子(2人)は全て聖徳太子の兄弟で合計7人です。
聖徳太子の兄弟↓
聖徳太子の子ども
聖徳太子には子供も多くいました。
聖徳太子と膳部菩岐々美郎女(かしわでのほききみのいらつめ)の間に生まれた子(8人)、おなじく刀自古郎女(とじこのいらつめ)との間に生まれた子(4人)
位奈部橘王(いなべのたちばなのみこ)との間に生まれた子(2人)は全て聖徳太子の子どもで合計14人です。
※一人で8人もの子どもを生んだって凄い!
聖徳太子の子ども↓
参考資料
中央公論社 日本の名著 2.聖徳太子
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