聖徳太子
僕たちは、聖徳太子没後1400年 連続歴史講座の「聖徳太子三尼公御廟所・西方院1400年の歴史と現在と未来」についての講座に行ってきました。
僕たちがその講座で印象に残った部分を紹介したいと思います。
聖徳太子は何をした人
冠位十二階や十七条憲法などを制定し、多くの政治をおこないました。そして、中国に遣隋使を送り、仏教の発展に力を尽くして多くのお寺を建てました。
十七条憲法では、「一に曰く、和を以て貴しと為す。」
訳(和を大事にすること。)
が、有名だが、「十に曰く」がこの十七条憲法の真骨頂だと考えているそうです。その十を紹介したいと思います。
「十に曰く、忿(いかり)を絶ちて、瞋(いかり)を棄て、人の違ふことを怒らざれ。人皆心あり。心各執ること有り。
彼是となれば吾は非とす我是となれば則ち彼非なり。我必ずしも聖に非ず。彼必ずしも愚に非ず。共に是れ凡夫のみ。
是非の理、誰か能く定む可き。相共に賢偶、鐶(みみがね)の端
无(な)きが如(ごと)し。是を以て彼の人は瞋ると雖(いえど)も還(かへつ)て我が失(あやまち)を恐る。
我独り得たりと雖(いえど)も、衆に従ひて同く挙(おこな)へ」
訳文「心に憤りを抱いたり、それを顔に表したりすることをやめ、人が自分と違ったことをしても、それを怒らないようにせよ。人の心はさまざまでお互いに相譲(あいゆず)れないものをもっている。相手がよいと思うことを自分はよくないと思ったり、自分がよいことだと思っても相手がそれをよくないと思ったりするものだ。自分が聖人で相手が愚人だと決まっているわけではない。ともに凡夫なのだ。是非の理(ことわり)をだれが定めることができよう。お互いに賢人でもあり、愚人でもあるのは、端のない鐶(リング)のようなものだ。それゆえ、相手が怒ったら、むしろ自分が過失を犯しているのではないかと反省せよ。自分ひとりが、そのほうが正しいと思っても、衆人の意見を尊重し、その行うところに従うがよい。」
この図は太子町の地形です。この図のように太子町には多くの寺があると言われていますが、それは有力な情報ではないと言われています。また、そのことについて書かれている本もあります。
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