2022.03.28 02:38大昭山 了徳寺宗派:真宗興正派本尊:阿弥陀如来山号:大昭山名前の由来第八代(平安時代)住職、了徳法師の名を取って了徳寺と命名した。歴史奈良時代の神亀(じんき)2年(西暦725年)に行基上人(ぎょうきしょうにん)のお弟子であった法受法師により、春日の当地に開基され、第3代、住職は法受庵(ほうじゅうあん)と命名した。初代、法受法師により『法相宗』第七代、覚了法師により『真言宗...
2022.01.15 00:48正泉寺宗派:真宗大谷派本尊:阿弥陀如来(阿弥陀如来立像)歴史正泉寺は、鎌倉時代に真言宗寺院として初めてつくられ、江戸時代に真宗寺院となった。二上山の西側のふもとに位置し、境内(けいだい)後ろには、鶯の陵(うぐいすのみささぎ)と 枕草子(まくらのそうし)に歌われた孝德天皇陵(こうとくてんのうりょう)を控えた自然豊かなお寺。お寺の門の前には、聖徳太子の時代に作られた日...
2021.12.20 05:55観佛山 善久寺宗派: 浄土真宗本願寺派本尊:阿弥陀如来(阿弥陀如来立像) 本山:龍谷山本願寺(西本願寺)歴史記録が残っていない。大正時代に火災があり、御本尊だけが残ってしまった。
2021.04.03 01:28聖徳太子について聖徳太子とは聖徳太子は547年~622年の間に生きた人物で本名は厩戸皇子(うまやどのみこ)。聖徳太子は奈良県 明日香村で生まれました。父は用明天皇、母は穴穂部間人大后(あなほべのはしひとおおきさき)です。「冠位十二階」や「十七条憲法」を制定するなどして活躍しました。聖徳太子が行ったこと1. いくつかの制度をつくった 聖徳太子は今までの身分制度や政治のしくみを...
2021.04.03 01:28聖徳太子について聖徳太子とは聖徳太子は547年~622年の間に生きた人物で本名は厩戸皇子(うまやどのみこ)。聖徳太子は奈良県 明日香村で生まれました。父は用明天皇、母は穴穂部間人大后(あなほべのはしひとおおきさき)です。「冠位十二階」や「十七条憲法」を制定するなどして活躍しました。聖徳太子が行ったこと1. いくつかの制度をつくった 聖徳太子は今までの身分制度や政治のしくみを...
2021.02.05 07:55小野妹子のフシギ私が、小野妹子の下調べをしている時に、疑問に思ったことがありました。その疑問に思った事を、鍋島さんに聞いてみました。 小野妹子のプロフィール出身地:近江国滋賀群小野村(現在の滋賀県大津市)小野妹子は、飛鳥時代、推古天皇時に遣隋使として活躍した官人です。Q 小野妹子の墓は、どうして滋賀県と太子町にあるのですか?A...
2021.02.04 07:56聖徳太子と黒駒聖徳太子と黒駒について聖徳太子は冠位十二階や十七条の憲法をつくった人物です。その聖徳太子が皇太子になったときに甲斐国(かいのくに)(現在の山梨県)から献上された黒い馬が黒駒(くろこま)です。聖徳太子と黒駒の旅聖徳太子は黒駒に乗って日本の視察に行き、3日で日本を1周したと言われています。視察の途中で富士山に登りましたが、聖徳太子は歩いて登ったのではなく、黒駒に...
2020.11.03 00:50南向山 西方院僕たちは、西方院が戦国時代になぜ焼かれたか、僕たちが気になった竹内街道の由来が気になり鍋島さんに調査しに行きました。質問1「西方院は戦国時代になぜ焼かれたのですか?」答え織田信長が天下平定(てんかへいてい)のために大阪一帯を支配下にしようとして太子町一帯を攻撃したためです。詳しいこと戦国時代の当時、日本を治める力が弱くてそれぞれの地方の人たちが好き放題でした...