叡福寺《下調べでは分からなかった謎》
僕たちは叡福寺のことについて、分からなかったことやもっと詳しく知りたいことなどを、太子町の歴史に詳しい太子町教育委員会の鍋島さんに聞きました。
僕たちは叡福寺のことについて2つ質問をしました。
謎1.上ノ太子・中ノ太子・下ノ太子の関係は何か
まず、上ノ太子・中ノ太子・下ノ太子の関係について聞きました。これは、下調べでは上ノ太子は叡福寺、中ノ太子は野中寺(やちゅうじ)、下ノ太子は大聖勝軍寺(たいせいしょうぐんじ)のことを指しているということしか分かりませんでした。
謎1の真実:上ノ太子・中ノ太子・下ノ太子は全て聖徳太子に関係していた!
上ノ太子・中ノ太子・下ノ太子は全て聖徳太子に関係していて、四天王寺(してんのうじ)を出発点にして聖徳太子の墓に行く道があります。
その道中に大聖勝軍寺(下ノ太子)と野中寺(中ノ太子)があり、道の西の方から下ノ太子→中ノ太子→上ノ太子の順に並んでいます。
謎2.太子信仰とは何か
次に、太子信仰について聞きました。これは、叡福寺のことを調べるといろいろなサイトに書いてあったので調べてみました。ですが、太子信仰については調べても詳しいことは載っておらず、分かりませんでした。
謎2の真実:太子信仰とは聖徳太子のことを信じること!
聖徳太子には【10人の話を1度に聞いた】や【日本中を1日でまわった】という言い伝えがあります。
その言い伝えに憧れて、聖徳太子を信じればその言い伝えのようになれると思った人が聖徳太子を信じるようになり、信じる人が多く出てきて太子信仰がうまれました。
このようなことが分かりました。今度、叡福寺の住職の方
にも質問しようと思います。
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