梅鉢御陵(うめばちごりょう)
私たちは梅鉢御陵の3つのうちの推古天皇陵と用明天皇陵と叡福寺の中の聖徳太子の墓に行きました。まず、推古天皇陵から紹介します。
推古天皇陵(山田高塚古墳、高松古墳)は、日本で初めての女帝、第33代推古天皇が眠っています。推古天皇は、聖徳太子を摂政にして隋と交渉をして政治制度や文化を吸収しました。
そんな推古天皇が眠っている墓が推古天皇陵です。
次は用明天皇陵です。
第31代の用明天皇は、推古元年(593年)に河内の磯長の陵に 葬られたようです。用明天皇は聖徳太子の父で、その聖徳太子の父が眠っているのが用明天皇陵です。
最後に聖徳太子の墓です。(厩戸王子の墓)
推古天皇の摂政の聖徳太子は十七条憲法や冠位十二階の制定などをしました。聖徳太子は推古29年(621)に亡くなって磯長の地に葬られました。
他にも母の穴穂部間人皇女と妹の膳郎女が葬られています。
これが 聖徳太子御廟です。
このようなことが下調べや実際に行って分かりました。
(参考にした資料2つ)
▶この記事は太子町立中学校社会科学部の部員が調査し書きました。◀
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