屯鶴峯地下壕について
屯鶴峯とは
屯鶴峯(どんづるぼう)は、奈良県香芝市にある奇岩群・奇勝のことです。二上山の火山活動により火山岩屑が沈積し、その後の隆起によって凝灰岩が露出し、1500万年間の風化・浸食を経て奇岩群となった標高約150mの岩山です。鶴が屯(たむろ)しているように見えることから「屯鶴峯」と呼ばれています。
屯鶴峯地下壕とは
この地下壕は、旧陸軍が本土決戦に備えて、屯鶴峯に巨大な軍事目的の地下施設の建設を推し進めました。それが「屯鶴峯地下壕」のことです。東壕と西壕の二つの壕があり、二つ合わせて、総延長が約2㎞にも及ぶ巨大な地下壕でしたが、建設途中で終戦を迎え実戦で使われることはありませんでした。
地下壕の目的
1945年4月、太平洋戦争が終わりに近づいてきたときに、旧陸軍は本土決戦で徹底抗戦を考えており、航空総軍を設置、司令部を東京から大阪の大正飛行場に前進させ、地下壕には戦闘情報の要(かなめ)である、戦闘指令所を配置。そこで指令を出し、本土決戦で徹底抗戦をするということが目的だといわれています。
地下壕の内部
地下壕の内部には、トロッコを動かすためのレール、ダイナマイトを設置するための穴などがあり、そのダイナマイトの爆風を避けるためのくぼみのようなものもあり、一部は丁寧に壁が掘られているところもありました。これは皇族や司令官を招き入れるために整えられたと考えられています。
近鉄南大阪線「屯鶴峯駅」
大阪鉄道に存在した(現在は近畿日本鉄道)
・1937年大阪鉄道の臨時駅として営業
・1945年頃、利用客減により営業休止、日時は不明
・1972年廃止 正式に廃駅となりました。
屯鶴峯駅の戦争との関わり
屯鶴峯地下壕が建設された時期と、屯鶴峯駅の休止の時期が同じであるという話、「屯鶴峯駅」が臨時駅として開業したのは1937(昭和12)年で生まれました。そして、1945(昭和20)年戦況の悪化と共に休止に追い込まれました。
第一地点から第三地点
西壕の入り口を上へ数mの登ると、削平地がありました。ここが、第一地点です。第二地点、第三地点にそれぞれ遺構がありました。レンガ片、セメント片があり、第一と第三にはトイレ跡らしきものもありました。この削平地には、かつて建物が建造されていたとおもわれます。
屯鶴峯駅の戦争との関わり
屯鶴峯地下壕が建設された時期と、屯鶴峯駅の休止の時期が同じであるという話、「屯鶴峯駅」が臨時駅として開業したのは1937(昭和12)年で生まれた。そして、1945(昭和20)年戦況の悪化と共に休止に追い込まれました。
終わりに・感想
今まで、私たちはインターネット上でしか見ていなかった屯鶴峯地下壕に実際に行くことができたうえに、詳しいお方からお話も聞くことができました。地下壕の中に入ったとき、インターネットで調べるだけでは知ることができなかったことがわかりました。私たちがインターネット上で見たのよりもずっと大きかったです。そして、内部にはこの地下壕を作るために使われたであろうトロッコのレールなどがありました。地下壕に行くと、教科書だけでは習わないようなことが学べました。当時の戦争がどんなものだったのか、今となっては実際の戦争を知っている先人の方々も少なくなってきています。この屯鶴峯地下壕は奈良県香芝市にある貴重な戦争遺跡となっていることがわかりました。
引用 資料活用
平和のためのNPO法人(特定非営利活動法人)屯鶴峯地下壕 香芝戦争展
屯鶴峯地下壕 西壕関連調査
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