聖徳太子と黒駒
聖徳太子と黒駒について
聖徳太子は冠位十二階や十七条の憲法をつくった人物です。
その聖徳太子が皇太子になったときに甲斐国(かいのくに)(現在の山梨県)から献上された黒い馬が黒駒(くろこま)です。
聖徳太子と黒駒の旅
聖徳太子は黒駒に乗って日本の視察に行き、3日で日本を1周したと言われています。
視察の途中で富士山に登りましたが、聖徳太子は歩いて登ったのではなく、黒駒に乗り、さらに雲に乗って登ったそうです。
そのときに、富士山の山頂から5色に光る山を見つけ、そこに聖徳太子は自分の墓を建てることにしました。
その山が聖徳太子の墓の、後ろの山(叡福寺北古墳)です。
聖徳太子はその山に行くとき、大阪の方から古市などを通っていきました。
その途中で黒駒を休憩させた所があり、そこが今の駒ヶ谷(こまがたに)です。
そこには馬の足跡がついた石(馬蹄石)があったそうです。
黒駒の最期
黒駒は聖徳太子が死に、石室に入れられ、墓の門を閉めたとき、大きく鳴いて即死したそうです。
黒駒の墓は奈良県 斑鳩町(いかるがちょう)にあるとされていますが、西方院(さいほういん)の前の霊園に1つ大きな墓があるので、それが黒駒の本当の墓ではないかと言われています。
※所説あり
この記事は聖徳太子没後1400年連続歴史講座第1回を参考に作成しました。
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